中世日本の対外政策史

「その昔、日本は中国だった」これを知らない方々は意外に多い。まあ中国人が直接実効支配した訳では無いので「準中国」とでも言えようか。この状況を作り出したのは足利将軍家(室町幕府)三代・足利義満その人である。彼は貿易によって潤う実利
優先させる事を念頭に”日出ずる国、神国日本”のプライドを捨て、中国(当時は明朝)に朝貢することで冊封(さくほう・物品を貢がせる事でその国を正式に国家と認め安全保障を約束する事)体制傘下に収まる事に依る対外有事の安全保障。そして積極的な
貿易に依る巨額の利潤(実際に送った品物の数倍の量を受け取る事が出来た)。その双方を日本にもたらす事に成功した。
この時期において将軍・義光は対外的には”日本国王”(「国王」と言う称号は中華帝国においては皇帝が統べる地方の長官程度)であり、日本国内での認識はともかく事実上「日本は中国」であった。時の将軍・義満がこの時代にとったある意味狡猾とも言
外交戦略は時代を通じて日本の外交史においての黄金期であったのかもしれない。やがて時代が移り変わり、応仁の乱や数々の
動乱を経て日本が戦国時代に突入すると、足利幕府が形骸化し、機能を失うとかつての様な大規模な貿易は行われなくなって
しまう。この時代の日本に割拠した武将達の多く(特に三河より東)は対外的(この場合海外)には市場を求めようとせず、専ら
日本国内の交易に傾注していた。それでも西国の幾つかの大名は主に民間ルートで明国や李氏朝鮮、東南アジアとの貿易を細々と行っていた。